spacer_10pix.gif
obi_2tone.png
archi_bio 1.pdf
spacer_10pix.gif
archi_bio 2.pdf
spacer_10pix.gif
archi_bio 3.pdf
■記事は、マリン企画刊・バイザシー誌16号に掲載されたものですPDFをダウンロードする……LinkIcon
spacer_10pix.gif
100余の、すべてがレアケースな
注文住宅設計を通じて、逆説的に
見えてきた真の普遍=スタンダード。
それを活かした
「提案型(建売り)分譲住宅」を
世に問う。顧客利益を最大化、
かれらの生活習慣すら改善すべく。



建築家は少年時代、いくつかの住環境に出会った。
それらは色彩にあふれていた。
幼児期、2年間を沖縄首里で過ごした。碧い海、透明な空、水晶のような白砂、深紅の花、そして錆色。
50年代、沖縄は返還前で、大戦の傷跡もなまなましく残っていた。
夢のようなラグーンに、旧日本軍の船が座礁し、錆び、朽ちていた。
洞穴には、白骨こそなかったものの、腐った銃剣が残っていた。
生と死のコントラスト、光りが強いほど、影も濃く落ちる。
そして白。
切妻屋根、白ペンキの板張り、白い家具の、米軍のそれのような住宅に暮らした。それは、自然とどこかつながり、風と陽光がとどく、ここちよい「環境」だった。
家族は横浜に越す。そこは灰色、高度成長期の、京浜工業地帯が吐きだす煤煙が、少年を小児喘息にした。
転地療養のため、家族で葉山に。
一色の御用邸ちかく、往時でも珍しい茅葺き屋根の一軒家。そこは緑、沖縄とは違った海の藍、たそがれ、黄金に光る海面、そして茅の匂い。エアコンなどなかったが、肌を撫でる海風が心地よかった。
葉山中学時代は、医者には止められたが、サッカーに打ち込み、喘息を自力で治した。追浜高校ではレフトウイングFWとして県大会でベスト8に。

60年代の終わり、日本は急激に変わっていた。砂浜は埋め立てられ、コンクリートで固められた。それぞれが個性的だった木造の校舎は取り壊され、全国どこでも同じようなRC造のそれに建て替えられた。
住宅もしかり、効率だけを重視した灰色の団地群……。
諸我は高校生だったが、公害に苦しんだ経験からも、自分なりの自然観をもち、高度成長下の日本に、違和感──不自然さ──をかんじた。
近代化って盲従していいのか?
ことに「住」、陽も風もとどかない。
それを他者にも問おうと、街の不自然さを写真に残そうとしたがうまくゆかない。写真は現実が映るものだと思っていたが、そう単純ではなかった。

葉山から離れたくなく、神奈川大学の建築学科に進む。
現実的なモノとして社会のストックになる建築によって、微力でも社会参加し、変えられればと思った。
工学的側面は建築の一部で、社会や人間も分からねばならない。大学では工学しか学べないのではと危惧したが、神大の教育は建築士養成的なそれではなく、グランドデザインコンペなど創造的実戦的で、自治的、教室は24時間開かれ、学友たちと自炊しながら泊まり込みで製作したりと、楽しく、実り多いものだった。
学生運動の熾火が残っていた時代で、自治的な教室をロックアウトしようとした「お上」が許せず、ノンセクトながら抵抗、機動隊に頭を割られ大出血したことも。それは余談だが、体制に盲従しない氏を語っている。
卒業制作にもそれはいえて、当時、横浜の金沢八景、野島周辺の開発計画──埋め立て、モノレール、団地、人工海浜、遊園地……──は決定していたが、諸我は、自然の砂浜や、芝浜漁港を残し、埋め立てが必要なモノレールではなく海上交通、遊園地ではなく、大戦の遺構(ゼロ戦を隠した野島の洞窟など)を美術館に、小学校をオープンスクール化、環境親和性の高い住宅……などの提案をした。
社会的コストが低く、お上のプランへのアンチテーゼでもあった。
75年卒業、オイルショック直後で、建築家のアトリエ的事務所を希望したが求人がなく、
title_m.png地方自治体の公共建築を手がける組織事務所に「潜り込んだ」

海老名市図書館、松本市総合福祉センター、茅ヶ崎の市民会館、千葉工大キャンパスなど多数手がけたが、11年勤め、退社。
計画面積25000㎡などと仕事は大きかったが、隔靴掻痒感をぬぐえなかった。分業で、設計担当という歯車に過ぎず、現場や、ユーザーの肉声が聞けなかった。
もっといえば、ある意味ユーザーはいなかった。
それらは、自治体トップの「実績」を誇るモニュメント的意味あいが大きく、市井の人々の生活に根ざしていなかった。
それ以上勤続すれば中間管理職になって、ますます「現場」から離れてしまうという危惧もあった。

建築家として、個人住宅を手がけていないことにもジレンマを感じていた。



「人間ってこんなに違うのか」
100の注文住宅設計を通じて、
100種のユニークな生活観に出会った。


施主の肉声を訊き、仕舞いや納めのひとつひとつを確認し、土地選びから竣工後のケアまで引き請け、責任を負い、すべてをコントロールし、血が通った仕事をしたいと思った。
先輩の事務所に転職、民間の商業建築や、集合、戸建て住宅を手がけるように。
申請や施工監理や、雑務にも追われたが、担当した、ある個人住宅が、神奈川建築コンクール最優秀賞を受け、以降、名指しで設計依頼をもらうようになった。
そして89年、38歳で独立、41歳のとき、横浜、山下公園近くに、"アトリエアルク"を設立、現在に至る。仕事は多岐にわたるが、戸建住宅が多く、注文住宅実績だけで100棟を越える。
注文住宅だけで、とことわったのは、──それが今回のテーマであり、具体は後述するが──近年、提案型(建売り)分譲住宅設計の比率が増えているからである。

住宅業界は保守的で、建売り戸建ての場合、4LDK、階高270cm、出窓必須……などといった「常識」にとらわれ、実際そういう物件がほとんど。
サッシュ枠の素材や色ひとつとっても、
誰かが「冒険」するまでずっとアルミ製でブラウンだった。
しかし、諸我が手がけた100を越える注文住宅において、「常識」を希望したクライアントは皆無だった。

「人間ってこんなに違うのか」
諸我は、100の設計を通じて、100種のユニークな生活観に出会った。
同時に、百様のなかに、ある普遍性も見えてきた。そしてそれは、
住宅設計の──常識や流行ではなく──真のスタンダードになりえる、と、建築家は確信した。

諸我は、3年前から、横浜を拠点とするディベロッパーとコラボし、“SUMiZ"というブランドで、湘南、横浜地区に、年間10棟前後の住宅を手がけている。
ディベロッパーが建築家を起用することはよくあるが、多くの場合監修程度。SUMiZの場合、諸我は、企画、敷地の選定から施工監理まで一貫して関わり、その設計力と、ディベロッパーならではの資金力、建材の一括仕入れや施工品質などとのシナジーによって、商品力と顧客利益(コストパフォーマンス)を高めている。
SUMiZとして注文住宅も請けるが、先述のとおり、提案型(建売り)分譲住宅も多い。
「そのほう(提案型)が、ある意味、注文住宅以上に、共感と満足を得ていただけるんです」
なぜ? 
注文住宅の場合、施主の要望に応える必要がある。むろん、ただ応えるのではなく、次元を高めた「解」を提案するのが建築家の仕事なのだが、それにしても設計はある種制限される。
対し、設計時点で施主がいない提案型分譲なら、施主固有の追加条件がなくなり、自由に、最適な──真のスタンダードたる──「解」を追求できる。

万人受けはしない。
住宅においてはそれはありえない。
施主固有の事情、年齢、家族構成、予算、価値観、生活観はそれぞれ違う。
100%ではないが、10%、場合によっては1%かも知れないが、必ず、これだ、と目を開かれる顧客がいて、買っていただけ、注文住宅以上に、かれらの生活にフィットし、さらにはその生活そのものを啓蒙し、健康的で自然なそれに変えうる。
それが「真のスタンダード」である。


提案型分譲なら、施主固有の
追加条件がなく、自由に、最適な
──真のスタンダードたる──
「解」を追求できる。


具体的には、

■"Environment"……立地環境選択(提案)に始まり、その自然・社会的環境を徹底的に読み、そこに最適化された「解」をカタチにする。当然の仕事ではあるが、その達成レベルを高める。

■"Cost Performance"……一般的な建売りの10%増し程度の価格に抑える。

■"Public Privacy"……複数棟プロジェクトの場合、「個」と同等以上に「集合」としてのデザインに留意し、両者の魅力を相乗的に高める。
建材の一括仕入れや施工効率によってコストを抑え、そのぶん住宅設備など顧客利益に還元する。
(以上3項はディベロッパーとのコラボだから成しうる)

■"Cube"……躯体は、シンプルな立方体を基本とする。容積効率が高く、壁量や工数が抑えられるので、余計なコストがかかりにくい。シンプルな構造ゆえに堅牢で、さらに剛床構造や筋交いを採用することにより、木造ながら高い耐震性をもち、防水層に応力負担をかけないので(木造なのに)ルーフ全面をバルコニーにすることも可能。

■"Flexible Floor"……こまかく「間取らず」連続させ、広げる。
家族なのだから、プライバシーはある程度確保できればよく、互いの気配を感じられる方がよい。
「間取る」ことによるデッドスペースをなくし、空間にマルチな機能、いわば抱擁性を与えることにより、限られた100のフロアを、150、200と活かす。
さらには、大収納可動家具によって簡単に個室を設ける、スケルトン構造により壁を一枚張るだけで、ワンルームを2個室に、といった易リフォーム性、などによって、ライフスタイルの変化にも柔軟に対応する。

■"Airy"……住宅は、シェルターであり、かつ、自然に対して「開き」、風や陽光の恩恵をうける装置でもある。
フォーミング断熱材や、ペアガラスサッシュなどにより、空調効率を高める優れた断熱性をもち、かつ開放性を高め、内と外を連続させる。都市型住宅でも、木のルーバー等によってプライバシーを保つバルコニーをつくり、そこを、屋外、ではなく、エアリーな居住空間とする。
■"Family Dining"……生活の基本は「食」、キッチン、お母さんだと思う。
オープンキッチンプランとし、大きなカウンターテーブルを造り付け、IHクッカーをビルドインする。(だからダイニングテーブルは不要)
つまり調理中のお母さんが背を向けない。夕餉を待ちながら、子どもはカウンターテーブルで宿題をし、会社から帰ったお父さんが夕刊を読む。炊事は家事労働ではなく、家族の憩いの時間となる。

■"Reason"……キッチン、サニタリーは既製品ではなく製作。独ミーレ社製などの食洗機、ドラム型洗濯機をビルドインするが、それらは「セールストーク」ではなく、ゆったりしたカウンタースペースを確保し
──「食」を団らんにする。朝、二人並んでもゆったり洗面できるなど──快適な生活を実現するため。


spacer_10pix.gif